箸墓古墳
奈良県桜井市箸中に所在する。
径156メートル高さ30メートルの巨大な円丘(円墳部)に
長さ126メートル先端部の幅132メートル、同高さ16メートルの
先端部が撥形に開く方丘(前方部)を連接させた形体の墳丘。
埋葬が行われていると思われる後円部は四段に築成され、
その上には径42メートル高さ5メートルの円丘を乗せる。
前方部はその上面から先端の細長い平坦部から、
緩やかなスロープをなす鞍部をへて、後円部部の第四段上面につながっており、
前面は四段に築成されているが、側面には段築は見られない。
他の前方後円墳と相違するところは、前方部の左右両側側面に重成の段築が見られないことであり、
また、クビレ部から後円部に接続するところにも壇成は見られない。
墳丘の周りに馬蹄形の周壕の存在を推定する説もあるが現状では確認できない。
低地となっている部分は以前から墳丘築造に要した土を採集した痕跡であるとも言われている。
前期の前方後円墳で、最古の前方後円墳とも言われている。
珠城山古墳から
三輪山に後円部を向け、その上を上ツ道と呼ばれる道が通る。
全国第11位の大型古墳でもある。
天武紀に壬申の乱にて箸墓のそばを通るという記載がみられ、
その当時からこの箸墓は目を引く存在であったと思われる。
被葬者として根強く言われている説は、
倭迹迹日百襲姫命(やまととびももそひめのみこと)である。
現在宮内庁にて治定されている。
『紀』に孝霊天皇の娘と伝えられた人物であり、
母は磯城県主家の女。
未然のことを察知する能力に秀でた女として知られ、
崇神朝に、大彦命が耳にした童女の歌謡の意味を説き、
武埴安彦の謀反を予知した。
三輪山の大物主神との神婚説話を持つ。
ある日、夜分のみ通ってくる夫の顔を見たいとこうた。
大神は、翌朝に女の櫛笥に入っているといったが、
決して驚かないようにといった。
しかし姫は、櫛笥の中にいた、小さな蛇の姿を見て驚き、叫んでしまった。
大神は恥をかかされたと思い、女にも恥をかかしてやるといって三輪山に帰っていった。
姫は悔いて腰を落としたが、そのとき、はしに陰部を突かれて没した。
姫の墓は昼は人が作り夜は神が作るといわれる大作業で、
大阪山から墓まで人を並べ、山の石を手渡しで運んで墳丘に葺いたという。
奈良県にある箸墓が死せる女王のために築いた『径百歩余』という記載と符合し、
卑弥呼と姫を同一人物と見る説がある。
池より
隣接する池は後世にできたものといわれ、周濠とは見られていない。
史跡に指定されているため、立ち入りはできないものの、
その形に道があり、沿って歩けるようになっている。
前方部端からくびれ部を見る
(2003年訪)
〜編集後記〜
再来しました。
相変わらずアクセスしにくいっ
車で行くと一周できません。
今回は前方部からの大きな道からのアクセスをしました。
どこかに車を止める場所があるんじゃないかと
淡い期待を胸に。。
なかったです★
道も狭いので路駐しての一周は危険だし、
住宅街なので迷惑ですね★
ちょうど日曜日で保育園がお休みだったので
拝所の横にある保育園前に少しだけ止めさせてもらい、
拝所だけ行かせていただきました。
池側を見学したのは実は初めてです。
こうなってるんだぁといった感じでした。
池側から見ると大きく感じますね。
(2012年)