日岡古墳群


加古川市大野に所在。

JR加古川駅から加古川線に乗り換えて、

日岡下車。

日岡神社があるこの一帯の小高い岡には、

景行天皇の后、稲日太郎姫陵(いなひおおいらつめ)である

ひれ墓をふくめた、前方後円墳4期、円墳11基ある古墳群である。


『播磨風土記』によると、この丘が日岡山となずけられたのは、

応神天皇が狩をされたときに1頭の鹿が「比比」と鳴いたところからつけられたという。

またこの丘を眺めたときに、子鹿がうずくまっているように見えることから、

「鹿子(かご)のごとし」というところから、現在の加古という地名につながっているという。


まず駐車場に車を置いて歩いていくと西大塚古墳がある。

桜の名所として有名であり緑も多く、また春以外にもウォーキングの人々で

にぎわっているところである。

西大塚古墳はそんなところを少し入ったところに存在する。

木が生い茂っている季節はもとよりこの辺りが古墳であるということはだれも知らないであろう。

 

全長74メートル、後円部の直径40メートル、高さ約3メートルの前方後円墳。

周りには10メートルから15メートルの堀が確認されている。

なかなか立派な古墳であるが、埋葬施設などはわかっていない。

4世紀頃の築造という以外、ほとんど不明である。


さらに先に行くともう1基前方後円墳がある。

南大塚古墳である。

全長90メートル、後円部直径57メートル。

周濠も確認されている。こちらも立派な古墳である。

なお、この日岡古墳群にある前方後円墳4基は同一方向を向いている。

南大塚古墳は道沿いに比較的わかりやすく見えるところにある。

 

少し坂になっているため、急な前方部が目に入るが、

こちらは後世の修復がなされて現在の姿になっている。

後円部には石が露出している。

  

石室は埋没しているものの、比較的大きな天井石と思われる石も確認できる。

このすぐそばには小さな地蔵が置かれてあり、

この古墳が昔王塚古墳と呼ばれていたことに関係しているように思える。


この古墳のすぐ隣にあるのが、西車塚古墳である。

この古墳が一番古墳といわれるとわかりやすい形をしている。

  

周濠をもった大型名円墳で、

径は23メートル、今は整備されている。


日岡山頂上にあるひれ墓は宮内庁指定の前方後円墳、日岡御陵である。

 

景行天皇の后として召された稲日太郎姫(古事記では印南別嬢)は

なくなられたので、天の鳥船に安置して葬儀のために印南川(今の加古川)

に運ばれた。

しかしこのとき川が増水して濁流、さらに強風が吹き荒れて

天の鳥船をさらっていってしまった。

そのあといくら探しても遺体は見つからなかった。

ただ、匣(くしげ)と褶(ひれ)だけが見つかった。

これを葬ったのがひれ墓である。


ひれ墓を下ったところにある神社に石棺が置かれてある。

竜山石で作られたこの石棺は

縦146センチ、横75センチ、高さ38センチ。

この日岡古墳群からの出土と思われる。


この後ろにあって、池の裏にある少し草が茂っていて見にくいが、

こちらも古墳であると思われる。

この日岡古墳群は円墳11基あるといわれているが、そのうちの1基であると思う。


日岡の公園から一本道路を挟んだ竹やぶの中に勅使塚古墳がある。

竹やぶの中のため、看板はあるものの、古墳とはわかりにくい。

全景も確認しかねる。

全長60メートル、後円部径35メートルの前方後円墳である。

やはり周濠が確認されている。

 

 

                              加古川へ/TOPへ

 

 

 (2004年6月訪)