一須賀古墳群

南河内郡河南町所在。

1986年に近つ飛鳥風土記の丘として保存公開されている。

国指定史跡。

6世紀後半築造の古墳が主で、その数は102基とされている。

見学できるのは現在のところ40基。

移築古墳もある。


近つ飛鳥博物館に車を停めて見学する。

まず、博物館を出てすぐにある古墳。

こちらは、道路の下にある古墳。

その先の階段をすすみ、J支群を順番に見学する。

かなり急な山道を、舗装された階段で登っていく。

階段に沿って古墳があり、まずその数に圧倒される。

その1

その2  

    その3

 その4

 その5

 その6

だいぶん登ったあたりで橋に出る。

橋の下に、古墳があり、

上から石室がのぞけるようになってある。

その8

その隣にある古墳は、この支群で唯一天井石の残る内部見学できる石室。(多分)

その7  側面から

その9 その10 

その11 その12

その13 

J支群を登りきると、さらに山の上に登るK支群と舗装された道に出る。

K支群は今回はパス。(よちよち歩きの子供づれなので)

舗装された道路を途中分岐でD支群へ向かう。

突き当たりにあるD−4号墳は、一須賀古墳群の中でも最大級の古墳。

 

直径25メートル・高さ2・3メートルの円墳。

片袖式。

石棺、木棺を合わせ4基の埋葬が確認されている。

出土品は金銅製飾金具、かんざしなど。


元の舗装された道に戻らず、そのままD支群をすすむと、

右手に盛り土を残した横穴式石室が4基並んでいる。

その1方袖式

一番奥は開口しているけれど、危険により立ち入り禁止。

その4 

その5  その6

D支群をおりきると、風土記の丘管理事務所に出る。

石棺が一基置いてある。

近つ飛鳥博物館への道を進むと、

河南町寛弘寺古墳群からの移築2基がある。

40号墳 傍らにあった石材。

41号墳


さらにすすむと、

119号墳と20号墳の移築、

河南町寛弘寺古墳群からの移築、3基がある。

 こちらは奥壁も残り、結構な大きさの古墳。多分寛弘寺古墳群45号墳。

 多分一須賀古墳群119号墳 

 多分一須賀古墳群20号墳

このあたりは古墳見学とは関係なく、

散歩道やお花見に最適な道でたくさんの人でにぎわっていた。


すすむと、山道に伸びるB支群につく。

一番初めにあるB−9号墳は封土はないものの、

家形式石棺が復元されて置かれている。

 

その2 その3

山道のB支群へは行かず、ぐるとまわって博物館へ戻る道へ行く。

 

 

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〜編集後記〜
近つ飛鳥の古墳めぐりの最後に行った古墳群です。
博物館も見学した後、
ダンナに娘を頼んで存分、山登りの古墳めぐりをしようと思っていたら
今日一日の運転の疲れが出たのか、
眠ってしまっていました・・・
起こすのも悪いなぁと思って、
よちよち歩きの娘と古墳めぐりへ。
最初のJ支群はホンマにきつかった!!
階段になっているものの、
古墳はほとんど傾斜部分にあるし、
階段もたまに急で、ほぼ抱っこで登りました。
J−7・8号墳は内部見学できる古墳でしたが、
入り口が傾斜部分にあったので断念。

大きな道に出ると、たくさんの歩いている方と会いました。
D群は、盛り土が残り、内部見学できるとあって、
小学生を連れた方を見かけました。
降りてきた、緑の広場にもたくさんの方が座ってのんびりされてたし。

管理事務所から博物館への道は桜が植わってあって
花見されてました。
B群は山の上までは登れませんでしたが、
下のほうにあった古墳群だけでも
一番側壁などが残っているほうだと思いました。

景色を楽しむ余裕がなかったのが残念ですが、
次機会があれば、まだ山のほうの展望台のほうまで行って
仁徳天皇陵を見てみたいです。
あと、残ったB支群と、K支群にも。
(2007年)