金津山古墳

 

阪神打出駅を少し北に行ったところに住宅街にはさまれたなかにある。

かろうじて道路沿いの一角が現在空き地になっているため、

こんもりした盛り土が見えて確認できる。

周囲をフェンスで囲っており、現在は立ち入り禁止。

長らく円墳と思われていたが、平成元年に発掘調査され、

周濠を持つ、全長55メートル、後円部40メートルの前方後円墳であったことが明らかになった。

現在は前方部は消失しており、後円部を残すのみである。

昔この古墳の墳頂に厳島神社の祠が立っていた。

現在はこの古墳からすぐのところにある打出天神社に祀られてある。

この古墳は黄金塚、金塚とも呼ばれ、

全国各地でも例のあるように、黄金やすばらしい財宝が眠っていると伝えられていた。

また近くに阿保親王塚古墳もあることから、

阿保親王がこの古墳に黄金等をうめたという伝承もあった。

また、この古墳を盗掘するのもは祟られるという伝承もある。

金津山古墳のすぐそばに現在は跡形もなく消失した、

金津山古墳よりも規模の大きい前方後円墳、打出小槌古墳があったことが記されている。

隣接する古墳のうち、大きい規模の打出小槌古墳のほうが破壊され、

金津山古墳が残ったことが、この古墳をいかに重要視していたかがわかる。

この古墳付近の町名にも色々伝承がある。

現在は打出町や打出駅などとされているが、

打出小槌というのが昔は一つの名前だった説。

打出小槌と言う名前で思い出すのは、まさしく「打ち出の小槌」である。

昔この海に住んでいた竜神が小槌を手に入れるが、

小槌を振ってほしいものを出しても鐘の音がなると消えてしまうのであった。

扱いにくいと思った竜神はこの小槌を朝廷に献上した。

しかし、当時の都ではそこらじゅうが寺で鐘が鳴らない日はない。

困った朝廷側はちょうどその時手柄を立てた芦屋の者にその小槌を与えた。

喜んだその者は打出村に持ち帰り、村人を集めて小判を出す。

しかしその時鐘が鳴ってしまい、すべての小判は消えてしまった。

それからこのあたりを打出小槌と呼ぶようになったというものだ。

また打出という名前も、

この地から神功皇后が新羅に打ち出たからだという説がある。

 

 〜編集後記〜
芦屋の古墳めぐりもこの金津山古墳で終了。
芦屋駅に戻り、お昼ご飯を購入するも、
食べるところがまったくなく、頼りにしていた親王塚古墳も
周りに公園がなかったため、そのまま
この金津山古墳へ向かった。
阪神沿線に来ると高級感もだいぶん薄れた状態に
なったので安心した。
が、依然として公園が見当たらない。
ようやく見つけた神社の境内でごはんをいただくことに。
この神社も多分震災後立て直されたと見えて、とても綺麗な上に、
横がすぐ国道でひっきりなしに人が通り、
三時ごろに神社で座り込んでおにぎりを食べているのは
ほんまに恥ずかしかった。
あとでこの神社が上記で説明が出ている打出天神社であることがわかる。
この神社でお昼をいただいている間に
ひっきりなしに参拝者がいた。
こんな街中にぽつんとある神社にこんなに
参拝者がくるなんて、信仰が深い町なんやな〜
と思ったが、由緒正しい神社だったのだなぁ。
掃除にきた神社の方も私を見つけても変な目でみるどころか、
にこりと笑ってくれた。
私の方がビックリしていたくらいやったけど★

(2004年)

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