中山寺古墳(石のカラト)
阪急宝塚線中山駅下車。
中山寺という安産のために帯をもらう寺として有名なところである。
ほかにも子供の成育などを願う、
いわゆる子供のための寺でもある。
西国三十三箇所観音霊場の第二十四番札所としても有名である。
また、聖徳太子創建という伝えがある。
現在の中山寺は天平年間に焼失したため、
豊臣秀頼の再建である。
この境内にあるのが、通称、石のカラトと呼ばれる
中山寺古墳である。
兵庫県指定文化財に指定されており、
巨石を用いた横穴式石室が開口している。
古墳時代後期の築造とされている。
中には家形式石棺が安置されており、
完全な形で保管されている。
石室の入り口からは宮内庁管理のため、立ち入り禁止。
この古墳は第十四代仲哀天皇の后、大仲姫の墓とも言われている。
また、中山寺をさらに山を一時間ほど登ったところにある
奥の院にも仲哀天皇の皇子の墓と呼ばれる伝承がある巨石がある。
仲哀天皇の后、大仲姫は、香坂(かごさか)皇子、押熊(おしくま)皇子
両皇子を残したままなくなられた。
やがて仲哀天皇は神功皇后をむかえ、やがてその子供(のちの応神天皇)に
跡をつがせようと二人の皇子は追われる身となる。
二人の皇子は力をあわせて戦うことを誓い、
策略を練るが、香坂皇子は占いである勝利の狩に失敗、命を落とす。
嘆く押熊皇子は香坂皇子のためにも最後まで戦うが、
いよいよ敵に四方八方を囲まれ、逃げ場を失った皇子は
敵に捕まって殺されるくらいならば、といって自ら湖に入水する。
押熊皇子の墓がどこにあるかはわからないが、
それからたたりと思われることが多発したため、
押熊皇子の墓を慰めたところ、墓の上に白鳥が現れた。
白鳥が飛んでいく方向についていくと、
今の奥の院白鳥石と呼ばれるところに羽を休めた。
それでこの石を白鳥石と呼び、祭った。
とある。
中山寺には安産手洗鉢として使われていたものも石棺であるといわれ、
現在は囲いをして祭ってある。
この船形石棺は押熊皇子の石棺という伝承がある