処女塚古墳(おとめつかこふん)
神戸市東灘区御影塚町所在。
四世紀頃の築造とされている。
大正11年に国指定史跡をうけるが、
その当時から墳丘はすでに道で破壊されていた。
昭和59年に整備が完成し、今の形に至る。
前方部から
後方部から。右側は道路。
南向きの前方後方墳。
全長約70メートル、高さ約17メートル、
後方部は三段構築、前方部は二段構築とされている。
なんとなく二段構築が確認できる。
墳丘に葺き石が確認されている。
出土品に壺型土器。
埋葬は不明。
この古墳は同区住吉宮町にある東求女(ひがしもとめ)塚古墳と、
灘区都通にある西求女(にしもとめ)塚古墳との強い関係性がある古墳である。
西求女塚古墳と東求女塚古墳との間の位置にある処女塚は
その昔、二人の男性に求婚されて、なくなった女性の墓とされている。
思い悩んだこの女性はついに死んでしまい、
それを嘆き悲しんだ二人の男性が、間を挟むように葬られたという伝説がある。
実際にこの古墳はその昔から伝説で知られていたようで、
田辺福麻呂(たなべさきまろ)の歌碑がある。
(生没年未詳:天平12年-740年-恭仁京遷都後から歌人としての活動が見られる。)
<蘆屋處女の墓を過ぐる時に作る歌>
古の 小竹田壮士の 妻問ひし 菟原処女の 奥つ城ぞこれ
田辺福麻呂の歌碑の表記である「處女塚」を引用している。
〜編集後記〜
この古墳にいったのはずいぶん前の話になる。
まだ神戸に住んでいた頃の話。
三軒目の家に引越しした時に訪れた。
二軒目の家の、目と鼻の先にあったのに。
この二軒目の家のとき、
いつも行く風呂屋の前の古墳を
古墳と認識しつつも素通りしていたりと、
このときは古墳どころではなかった精神状態だったかもしれない。
今思うともったいないの一言やけど・・・。
この古墳、結構高い位置にあるし、
柵で囲ってあるのでわかりにくかった。
近所のおば様に聞いてようやく判明。
神戸にしては保存がいいほうかな?
(2003年訪)