正法寺古墳群



三木市別府町所在。

正法寺山のふもとにある正法寺の隣に古墳公園があります。

県道からも開口した1号墳が確認できます。

正法寺古墳群は16基が確認されており、

現在公園内には大きさから中心的な存在であったと思われる、

1号墳とその隣にあった1−b号墳の間に、

2号墳・3号墳を移築し、古墳公園として整備されています。

六世紀中ごろから七世紀前半の築造。

一号墳以外は石室や墳丘は破壊されていました。

それでも調査の結果、1号分と4号墳が中心的な古墳であったことや、

10号墳からは石棺が発見されています。


1−b号墳

片袖式。

棺台と思われる石が石室内から発見され、

2体以上の被葬者埋葬が考えられている。

出土品は玄門付近に須恵器など。


1号墳

 後ろから見た図。

綺麗な青芝で復元されている。

施錠されて中には入れない。

南に開口。両袖式。

持ち送り式の石室。

玄室の床には礫が敷き詰められていた。

出土品は須恵器・馬具など。

平成6年の発掘調査により、周濠から一辺約16メートルの方墳とされている。


3号墳

奥に見えるのが二号墳。

移築石室。

無袖式。

損傷はあったものの、比較的良好な状態で遺存していた。

石室は持ち送り式。

玄室の中央に木棺と思われる腐食後が見つかっている。

出土品は、奥壁隅に須恵器高杯など。


2号墳

  奥壁から見た図。

移築石室。

片袖式。

棺台と思われる石材が散布しており、被葬者は3体以上とされている。

現在も玄室に石材が残っている状態。

出土品は直刀・玉類・須恵器高杯など。

 

正法寺古墳群とは直接関係ありませんが、

三木市には億計・弘計の二皇子が隠れ住んでいたという土地でもあり、

多くの伝承が残っています。

のちの顕宗天皇・仁賢天皇は、皇位争いで雄略天皇に殺されたとされている

市辺押盤皇子の息子であるといわれています。

政変の難を逃れるため、この土地にやって来、隠れ住んだ場所とされる

志染(しじみ)の石室があります。

   駐車場も完備、舗装された道があります。

石室といっても、古墳の石室ではなく、

高さ約3メートル・奥行き約7メートルのいわむろです。

 

現在は湧き水が湧いており、その水が光り藻で金色に見えることから、

[窟屋の金水]とも呼ばれるようになりました。


また、三木市には久留美(くるみ)という地名がありますが、

二皇子が志染の石室に住む前にしばらく滞在した土地が久留美です。

[久しく留まられた美しい里」という意味があるそうです。

 

 

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 〜編集後記〜
この日は三木ホースランドパークに行って来た。
この園内には城跡もあるし、
古墳群が二つもある。
看板はあるものの、整備や詳しい調査はされていないようだった。
もう一つの古墳群はかなりの山の中(このホースランドパーク自体が山であるが)
だったので、行くこともできなかったけれど。
正法寺の古墳公園は県道からも見えてすぐにわかったが、
舗装されている公園への道が、民家の道だと思って
そこへは行かず、公民館に停めていったので、
結構な坂を登る羽目になったが、
隣接する墓地のための駐車スペースが結構大きくあったので、
細いけれど、古墳公園のそばまで車で行くことができる。
1号墳は鍵がかかっていては入れなかったけど、
事前に申請すると入れてくれそうな感じはした。

志染の石窟もなかなかよかった。
石室と書いてあったので、てっきり古墳やとおもっていたけど。
駐車場には簡易トイレもあって、
観光に力を入れていることがわかる。
ちょうど観光協会の車が一台停まっていたが、
石室に着いたときに1人の男性がパンフレットを持って
やってき、丁寧に説明してくれた。
ちょうど今光っていますよ、と言われ、
見てみると確かに光ってる!!
あまり最近は光ってなかったらしく、いい時に来たなぁ〜
とラッキーでした。
この光の元、光り苔、
どうも武田泰淳の「ひかりごけ」を思い出してしまうなぁ。