勝福寺古墳
川西市勝福寺の裏山に所在。
阪急川西能勢口、もしくはJR川西池田で下車。
北に進むバスが出ているので、勝福寺前で下車すると
勝福寺古墳の看板が出ている。
勝福寺への道ではなく、裏山に続く道を登ると
すぐ目の前に開けた広場があり、
そこに勝福寺古墳がある。
六世紀初期頃の築造。
明治24年に土取りの際に発見され、
二基の円墳とされていたが、調査後全長約40メートルの
後円部を北に向けた前方後円墳であることが判明した。
前方部で木棺が2基、後円部で横穴式石室が2基発見されている。
出土品に須恵器・土師器・鉄器などがある。
私が訪れたときは調査中のためということと
崩れやすくなっており危険ということで
青いビニールシートが墳丘に張られており、
厳重な柵が墳丘一面を囲っており、完全に立ち入り禁止であった。
しかし北に開口した石室はかろうじて肉眼で見えた。(石室1とする)
丁寧に石積みされており、少し下がったところに石室がある印象があった。
それもそのはず、
この古墳は畿内では十数個確認されている、
石室に向かう羨道内に階段状の遺構がある珍しい古墳であることが
調査で確認されている。
西側は墳丘が崩れたような形で石が露出している。
この反対側にもう一つ石室が発見された。
この石室は(石室2とする)羨道の入り口を塞ぐような形で
造られており、石室を塞いだ後に築造されたものとされる。
石室2は西をむいた横穴式石室で、
玄室の長さは約1・7メートル。
大量の土器が出土している。
築造基は石室1とほぼ同時期と考えられ、
石室1の築造の後すぐに築造されたと思われる。
前方部の木棺を入れて埋葬施設は4箇所になるが、
後円部の石室を塞ぐような形での追葬(断定はできないが)は
珍しい。
〜その後の発掘調査後〜
周りにフェンスが張られ、
開口部には扉がつけられており、特別な時以外は見学不可となった。
〜編集後記〜
10年ぶりくらいにこの古墳を訪れました。
今回は大通り沿いからではなく
クルマでのアクセスのため
裏側からのアプローチ。
裏に駐車場はあるものの、
かなり狭い道&坂。
こわい〜〜
古墳はきれいに整備されていて
でも開口部は現存していたのはうれしかったなぁ。
機会があれば一度くらいは内部見学したいものです。
(2013年)
〜編集後記〜
この日は宝塚、西宮とこの古墳のある川西を一気に行った。
もう少し時間があれば芦屋にも行きたかったところだったが、
御願塚古墳であえなくタイムアップした。
しかもこの日は携帯を家に忘れるというアクシデントもあり、
このあたりはよかったが、
宝塚の中山寺の一時間かけて山を登ったときは
時間がわからなくて本当に困った。
この古墳はこの地帯が山道であるため、
念のため、駅から出ているバスに乗って勝福寺まで行ったが、
余裕で歩ける距離だった。
帰りはバスが時間が合わなかったので、歩いて駅まで行った。
見事に開口している古墳に入れないのは本当に残念だった。
後で調べてみるとなかなかの規模のようであったし、
このときはまだ調査中だったという、
石室2の存在もそのときは知らなかったので、後で知って驚いた。
この日のオチはというと、
かえる頃に相方に公衆電話から(携帯を忘れたため)
「今から帰るわ」と電話すると、
「今日仕事やったやろ」といわれたことやった。
なんと。休みを間違えていたらしい。
しかも携帯を忘れていたから連絡がつかず、相方に連絡が来たらしい。
営業には問題なかったが、帰ってから先輩に平謝りしたが、
携帯を忘れたというのはなかなか信じてもらえず苦労した。
たまに遅刻したから休んじゃえという人がいるようだが、
なり続ける携帯を一日中無視することほどしんどい一日はないやろう。
六年間の仕事中に一回だけ寝坊したことがあるが、
なんと12時出勤という社長出勤をしてしまった。
店長は許してくれたが、罪滅ぼしのためにその週は
残業をしたっけなぁ〜。
古墳に関係のない話になってしまったが、この日のことを思い出すと
すごくいたたまれない気分になる(笑)