高砂市教育センター
古墳ではないが、竜山石の原産地でもある
高砂市にある高砂市教育センターには
同市からの出土と思われる竜山石製の
石棺が3基保管されている。
高砂市教育センターは昔の学校を補修したようなつくりになっており、
図書館や郷土資料館、歴史資料館なども
教室の一室を使って展示してある。
敷地に入ると一番に目を引くのが
「天磐船」と書かれてある巨大な家形石棺の蓋である。
曽根天満宮を道路を挟んであるこのセンターの
石棺は興味のない人でも尋ねると「大きな石?あるよ。」
と答えるくらい存在感がある。
「天磐船(あまのいわふね)」と書かれたこの石棺の蓋石は
兵庫県文化財に指定されている。
もともとは伊保山山頂にあった古墳からの出土品である。
後期の古墳で横穴式石室であったといわれているが、
生石(おうしこ)神社の記録によると、
すでに記録にある頃には封土は消失し、
蓋石のみが半分土に埋もれた状態であった。
この形ゆえに「天磐船」となずけられ、
大己貴神(おおなむちのかみ)、小彦名神(すくなひこなのかみ)がのって
きたと伝えられている。
この地域の状態が変わり、蓋石の落下の恐れがあったため、
教育センターのほうに移され保管されている。
加古川市にある平荘湖古墳群、湖畔の神社に置かれている石棺の蓋石も
大きいと感じたが、こちらの蓋石はそれを上回る大きさであった。
「天磐船」のすぐ横にあるのは、阿弥陀古墳群、阿弥陀1号墳からの出土
といわれている棺身が置かれている。
羨道の中央に置かれていた石棺で、
発見当時から蓋石はなかったため、詳しいことはわからないが、
刳り抜き式石棺である。
「天磐船」のあとであるからか小さく見える。
長年放置されてきたからか、もともとかは不明であるが、
かなり表面は粗い。
さらにすすむともう一つ石棺が蓋石を欠いた状態で置かれてある。
阿弥陀古墳からの出土と変わらない大きさで、
刳り抜き式石棺で時代も近いと思われる。
表面は阿弥陀古墳のものとは違ってかなり加工されているためか
整っている。
こちらの石棺は出土地が不明で、明覚寺にもともとあったものを
こちらにうつしたものである。
庭には計3基の石棺がおかれているが、
そのほかにも竜山石製の道しるべや、井戸など石で作られた
奥・手前両方とも時代別の井戸。
竜山石製。
価値のあるものが移築されて展示されている。
資料館の中には、石棺や、石棺仏などが縮小され展示されており、
確認されているだけでの数の多さに驚かされる。
センターにある石棺も縮小復元されて展示。
〜編集後記〜
曽根のあたりはお祭りが盛ん。
お正月は帰らなくても祭りに出ないと村八分にあうというくらい。
もちろん学校も公休である。
何気に行ってみた日が丁度そのお祭りの日。
曽根天満宮の前にあるセンターには近づくこともできずその日は
石の宝殿の駐車場にある竜山1号墳の石棺だけ見て帰宅。(涙)
日を改めてセンターへ。
学校を改造した造りはマッチしていていて面白かった。
天磐船だけかと思っていたが石棺が3基もあるとは♪
しかし天磐船と阿弥陀古墳の石棺のほうは生垣があり、
屋根があるのに対し、出土地不明の石棺のほうは
立ち入り自由で、時代が同じようなのでも扱いはえらい違いやな〜
と思った。
おかげでバックショットとか360度見れて私としては嬉しかったけど。
資料館には古い道具の展示だけかと思ったが
意外と古墳関係の展示が多く、中でも縮小された石棺がかなり
かわいくて気に入った。
石棺仏などの現在の場所も書いてあって
つぎ行くときの参考になった!
しかし1匹やぶ蚊がおってやつとの戦いであった(−−;)
(2004年訪)